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2017年4月12日水曜日

「Asahi DRY ZERO FREE アサヒ ドライゼロフリー ノンアルコール」5つのゼロに感じるそっちじゃない感。

    カロリー計算をずっとしている。間が空いたこともあるがもう4年くらい同じカロリー計算アプリのお世話になっている。ダイエットしたいときもあるし、その後の適正体重(私にとっての適正体重。BMIから算出される標準体重では重すぎる)の維持にも使える。「カロリー管理をしている」というと大変なことをしている、意識高いのね(私はこの言葉を使ってくる人が苦手だ)という印象を与えるかもしれないが、その方法が私に一番合っているだけだ。他にもっとよい方法があればそうする。
 私のカロリー管理の大敵はアルコールだ。それがあれば体重が増え、塩分過多になり、痛風がこわくなり、γ-GTPが上がる。体質的にアルコールは飲めるし楽しいのだが、子供の小さい今は控えるべきに思う。というのも、子育てを凌駕するほどアルコールに対する欲求はないし、酒の匂いのする大人が子供にすり寄っていくのは見苦しいと思うからだ。端的に子供も嫌がるだろう。事実として、幼児の生活リズムとアルコールを楽しむ大人の生活リズムとは合わない。くどいようだがそれは事実だ。「酒を飲みたい」という欲求と、「子育てを手伝わなくてはいけない」環境にある父親はよく考えてみるべきだろう。そもそも「手伝わなくてはいけない」という言い方がおかしいのではないだろうか、子供を育てることは父親にとって「手伝わなくてはいけない」というような他人事ではなく、「当たり前に一緒にすること」ではないのか、そこに「酒を飲みたい」という単なる自分の快楽のための欲求を重ねていくことが果たして正当なことなのだろうか。私にはそうは思われない。
 告白すると、「父親はよく考えてみるべきだろう」などと一般的なことのようにして偉そうに言っているが、自分自身にやましいところがあるからそんな問いが出てきたのである。よく考えてみないといけない父親というのは他の誰でもない私自身のことなのだ。というのも、私自身そんな風に考えるようになったというか、うすうすは思っていたが実際の行動に反映できるようになったのは、子供が生まれてから数年後のことだからだ。それまでは「よく考えてみるべきこと」から目をそらし続けていた。「ストレスが溜まったらアルコールに逃げる」という悪しき習慣を正当化していた(今でもたまにしてしまう)。私には「ストレス発散の酒」というものはありえないので、ストレスがたまって酒を飲むときはとにかく逃避のためだった。憂さ晴らしにもならない酒というのは本当に不毛だ。憂さは晴れないし気持ちの切り替えもできない。多量の飲酒で身体は弱るだけだ。そういう理由から、「アルコールはたのしいことがあったときだけ飲む。嫌なことがあっても酒に逃げない」ということを30代半ばになってからのルールのひとつにしている。
 しかし、そうは言っても、味覚としてビールの苦みが欲しくなるときがある。あれは「うま味」(日本の食品によくある「調味料(アミノ酸等)」)と同じである種の中毒性があるのではないかと思う。そういうときはノンアルコールビールを積極的に手に取ることにしている。一番はレモン炭酸でも飲んでビールを飲みたいという欲求を忘れることなのだが、ふらっとスーパーのアルコールコーナーに通りがかってしまったときはノンアルコールのところを吟味する。商品を吟味しながら、内面の葛藤も吟味しているわけだ(傍目には缶を睨んでいるだけのおじさんだが頭の中では大変なことが起こっているのだ)。 
 その作業をしていると「Asahi DRY ZERO FREE アサヒ ドライゼロフリー ノンアルコール」という商品を見つけた。「五つのゼロ」が売りで、「カロリー0 糖質0 プリン体0 人工甘味料0 アルコール0.00」と高らかに印刷してある。この中で私の興味を一番引くのは「人工甘味料0」の項目だ。というのも、ノンアルコールビールは飲みたいが添加物ばかりを摂取したいわけでもないからだ(意識高いのね、と言わないでほしい。そういうつもりではない。大切なのは「意識が高い」ことではなく、いろいろな情報にアンテナを張り巡らせて、総合的に身体によいであろうと判断したことを自分のスタンダードにすることだ)。
 買ったので飲んでみた。特に抵抗なく飲み進めることができる。まずくない。しっかり冷やす方がよいだろう。缶を眺めて、3つくらいのゼロはこれまでにも見てきたがさすがに5つのゼロにはあらためてびっくりする。それと同時に、びっくりしすぎて、味わいつつもかえって内省的になる。「カロリー0、糖質もプリン体も0、人工甘味料も0。アルコールも0.00%…」。そんなゼロばかりの液体を好んで流し込んで一体私は何をしているのだろうか。そんなことを思い始めたが最後、もはや自分が何を何のために飲んでいるのかわからなくなり始めた。というのも、例えば「糖質0は脳を騙しているので危険」ということをよく見かけるが、5つのゼロに至っては糖質だけでなく全部騙しだ。ビール風の喉越しを楽しむだけで、身体の栄養になるものはミネラルウォーターよりない(デキストリンが体にいいとも言えるのかもしれないが)。数値としては全部0だけれど液体としては存在する物質を流し込んで脳を騙して喜んでいるのだ。それならいっそビールを飲んだときと同じ恍惚感や充足感を再現する電気信号を出す金属の板でも舐めていたらいいのではないかと思う。もちろん、ノンアルコールビールの実用性は禁酒のためだけではなく社交の場にもあるので、仮想の味を脳内に再現する金属を舐めていたらいいというのが言い過ぎなことはわかっている。しかし、そう言いたくなるくらい何も益のない液体、ゼロの液体なのだ。飲むことで自分の行動や欲求をここまで反省させてくれる液体は初めてだ。「5つのゼロ」はゼロすぎて怖い。プリン体だけでなく人工甘味料もゼロになり商品としてはより健康的になったのだが、なんだか不自然な感じのする飲み物だった。「不自然」というといささかわかりにくいかもしれないが、科学的なデータに基づけば「不健康」な飲料ではないだろうし「不自然」とでもいうしかない。成分表が記載されているので「得体の知れない」飲み物でもない。ここで私が「不自然」という言葉を使って考えていることについてもう少し詳しく言えば、「自然界に存在する物質を使って作られてはいるのだが、目指す方向性に不健全な印象を受ける」という意味だ。言い換えれば、「健康思考の人をターゲットにしてるのかもしれないが、色々やりすぎたせいで、返って不信感を抱かせるなんだかよく分からない液体」になっている印象がある。
 今の健康志向のスローガンは「オーガニック」や「スローフード」だと思う。したがって、外国のノンアルコールビールにあるように、普通にビールとして作ったものからアルコールだけを抜き去るというものの方が健康志向の人には「売れる」と思うのだ。確かに「プリン体」は痛風に悩む人には困る物質だし、流行りの健康キーワードだ。しかし、それをゼロにしようとしたあたりから日本のノンアルコールビールの迷走があるような気がする。シンプルにアルコールだけゼロにして後はオーガニックなノンアルコールビールへのニーズはあると思う。私ならそれが飲みたい。カロリーがあってもよいし、プリン体があってもよいから。人工甘味料はゼロだけれど添加物の沢山入っているノンアルコールビールばかりの現状、どの会社も同じような方向性でしか生産していない現状が悲しい。
 種々の事情でアルコールが飲めないがビールの味は楽しみたいとき(妊娠されている人や禁酒している人など)、「とりあえずビール」という風習がある日本社会では、ノンアルコールビールは重宝する飲み物だ。しかし、今の日本のノンアルコールビールは文字通り「アルコールのないビール」ではなく、「ビールっぽいけど実は全く別の液体」を目指しすぎだと思う。5つのゼロが出てきてそういうものの頂点(行き着く先)がだいぶ見えてきたのではないだろうか。だからこそ、5つのゼロには何かやりすぎた感じをうけるし、今日はアルコールを飲めないがアルコールのある場に付き合わなければいけない、という事情がないときは、「5つのゼロという何かやりすぎた感じのする液体」を積極的に手に取らないと思う。味覚としてはおいしいのだが頻繁に摂取するのにはどこか抵抗を感じるのである。したがって、アルコールを飲める状況なら素直にビールを飲むべきだし、飲めない状況ならお茶かトマトジュースでも飲んでいる方がよっぽど健康的で精神的にも健全だと思う。しかし、それではビールの味を感じることはできない。だからこそ、もっと健全でシンプルな発想で作られた、毎日飲んでも大丈夫そうなノンアルコールなビールを作って、そのあたりのコンビニで売って欲しい。




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